由緒
琴崎八幡宮は山口県内の大社として知られ、神社本庁の定める別表神社(全国346社・令和2年現在)です。
旧宇部市の総鎮守の神社として、地元の皆様からは「はちまんさま」と長年慕われ、県内外からも多くの参拝者で賑わっております。
御祭神
御祭神
- 品田和気命(応神天皇)
- 足仲津比古命(仲哀天皇)
- 気長足比女命(神功皇后)
配祀神
宗像三女神
- 多紀理毘女命
- 市杵島比女命
- 多紀都比女命
御由緒
貞観元(859)年 僧の行教が御舟で大分県宇佐八幡宮
(現:宇佐神宮)より御分霊を京都石清水八幡宮に御勧請の際、海上の時化のため、宇部郷琴芝の浦に寄航し、御分霊をこの地に留めました。里人は御神徳を景仰して琴芝村八王子に祠を建立し、霜降城城主厚東氏からも城南の鎮守として代々尊崇されました。
寿永三(1184)年厚東氏七代目・武光が長門国守護職に任ぜられると、その地を訪れ、新たに社殿を建立するよう命じ、社地は西の宮に遷され社殿を造営し祭事を奉仕し代々崇敬されました。
のち、大内弘世が長門国守護職となり、永和三(1377)年僧の性禅と祀職の豊住がご神託を受けて西の宮から琴崎の地に奉遷されました。これが現在の社地であります。
宮碑にはその時の様子が
『松柏薈蔚にして形琴瑟の如く 潮松籟と和す 名を琴崎という豊住おもえらく 地は潔く景は勝る 神を住ましむるによろし』
と記されております。
解釈すると『松の木や葉が生い茂り、三面海に囲まれた岬(崎)の形は琴のようで、波の音と松を通りぬける音がまるで琴の調べのように調和して
いる。地名は琴崎という。私(豊住・当時の宮司)が思うに、清浄な地で景勝地である。よってここに社殿を建立するに絶好の地である。』となります。
藩主毛利氏の崇敬は更に篤く、永禄九(1566)年社殿造営にあたり、毛利元就は笠雲禅師を参拝させ寄進されました。領主福原氏は代々崇敬篤く、社領を献じ、元禄十(1697)年には、福原広頼が社殿を改造し奉られました。福原越後公は、常に当社に参籠し国事の遂行を祈請されたと記録に残ります。
明治六年に郷社に列し、大正十四年、参宮通り(国道490号)と呼ばれる当宮から海へと一直線に続く道は瀬戸内海を航行する船からも八幡様が見えるようにとの願いから造られました。
昭和十一年三月には、壮麗なる「三間社流造り」の現社殿が新築され、境内外も整備拡張されました。昭和十三年縣社に列せられましたが、
戦後、社格制度廃止に伴い、それに代わるものとして特別な神社が別表に掲げられて別表神社と位置付けられ、当社も昭和四十一年七月に別表神社に昇格加列されました。
現代においても、安産・育児・縁結びの神様としての崇敬も篤く、また、豊富な種類のお守りや夏の風物詩ともなった「風鈴まつり」など、多くの参拝者に祈りを捧げていただいております。